コラム

なぜ私は国家公務員を辞めたのか-人生観を大きく変えた2つの出来事

なぜ身分の安定した国家公務員を辞めたのかという質問は、初めてお会いする方には必ず聞かれる質問です。

簡単に私の経歴を紹介すると、前職は国家公務員、東京の霞ヶ関にある厚生労働省の職員でした。

大学卒業後すぐに厚生労働省に入省し、2012年末に退職しましたので13年間勤めたことになります。

人生観を大きく変えた2つの出来事

13年間も勤めた仕事を辞めたわけですから、もちろん様々な理由があります。ただ、はっきりしているのは、私の人生観が大きく変わったということです。

そんな人生観を変えた出来事は大きく分けると2つあります。

1つ目はシンガポールで味わった衝撃、2つ目は危うく死にそうになった病気です。

1. シンガポールの活気と日本の閉塞感

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2007年から3年間、シンガポールの日本大使館に外交官として勤務しました。

1-1. シンガポールでの仕事

大使館での仕事というのはなかなか一般の方には馴染みがないかもしれませんが、私が行っていたのはシンガポール政府が行う政策の情報収集です。

公式発表を参考に、シンガポール政府の職員にアポを取って政策の背景にある考え方や今後の動向などを聞き取り、現地日系企業の方や有識者の反応等の周辺情報を加え、最後に自分なりの所見をまとめ、報告書として日本政府に送るというのが主な業務です。

シンガポールに赴任してありがたかったことは、シンガポールという国が、他国の情報収集、いわゆるインテリジェンスに長けた国であったことです。

シンガポールは小国であり、インドネシア、マレーシアと東南アジアの大国に挟まれているがゆえに、ときに八方美人外交と揶揄されます。しかし情報収集を怠ると生き残っていけないという危機感が常にあります。

シンガポール政府の担当者と会議をするには他国の最新情報も追っておかなければ会話にならないため、バカにされないよう必死に情報収集をしていましたw

報告書を作成する上でも、単に公式発表やシンガポール政府のコメントだけを和訳するのでは何の評価もされません。そこから今後の動向をいかに予測し、日本政府の政策にどう影響するかという点でレポートの善し悪しが決まるわけです。

私自身、すべての報告書の出来が良かったとは思いませんが、ある幹部に、「君の報告書は政策の行間を適切に読み、我々がどんな情報が欲しいかを理解しているので、毎回ありがたい」とお褒めの言葉をいただいたことがあり、とても嬉しかった記憶があります。

もちろん、予測が外れたこともあって恥ずかしい思いをしたことは多々ありますが、自分が思うほど他の人はそんなに気にしていないと気づいてからは、どんどん情報を発信するように励んでいました。

それが今のサイトでの情報発信・Work Life Funに繋がっているのかもしれません。

1-2. シンガポールでの生活

また、これは実際に住んでみないとわかりにくいのですが、シンガポールの日常生活の中には活気が満ちあふれていました。

シンガポールは、赴任当時の2007年から国民一人当たりのGDPが既に日本を超える状況でしたが、頑張れば明るい未来があると信じて毎日を過ごしている、電車の中や街の中でも盛り上がっている、国民全体にそんな雰囲気を毎日肌で感じていました。

それに、シンガポールの公務員は猛烈に働きます。深夜にメールの返信があるというのはざらです。

ただ、これは日本でも同じですが・・・。よく言われるような「役所は9時から17時まで」なんていうのは霞ヶ関、というより私が所属していた部署ではありませんでした。「不夜城」と呼ばれるほど多くの人は猛烈に働いていましたし。。。

1-3. 日本帰国後

日本に帰国したら、日本の行政にも世界の潮流を踏まえた政策を推進するんだ、と燃えていたことを今でも思い出します。

そして、2010年4月に日本に帰国するわけですが、待っていたのは地獄のような日々でした。

毎日地下鉄に乗って通勤していたのですが、満員電車の中で死んだ魚のような目をして通勤するサラリーマンを見ていると、だんだん自分もこの人たちと同じようになっていくのではないかと恐怖を感じていたことを今でも思い出します。

また、仕事内容も、新しいことをやるどころか、当時政権交代があったこともあり、公務員=悪という風潮が強く、やっていることすべてがムダ、ムダでないというならムダでないことを証明せよという後ろ向きの業務。。。

シンガポールの活気を味わってからの帰国後の閉塞感、このギャップに耐えられませんでした。

2. 死線をさまよった病気との闘い

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病気回復後に医師に言われたことが、あと一日発見が遅かったら死んでいたかもしれない

入院時のあまりの辛さに「このまま死んだ方が楽かもしれない」と本気で思っていました。

振り返って考えてもぞっとしますが、病気というのはメンタルに大きく影響することを実感しました。

ちなみにこの病気の出来事もシンガポールであったことです。

2-1. 病院に行って即入院・完全隔離

詳細は割愛しますが、病気自体の問題というより、病気の治療のために服用を始めた薬の副作用により白血球が減少し、健康体では問題にならないような感染症にかかり、40度程度の高熱が続く状態になりました。

最初は、かかりつけの医師のいる病院に通っていたのですが、さすがに1週間以上も高熱が続いているのはおかしい、1%が該当すると言われている副作用が出ているのではないかと、専門医に行くように強く勧められ、行ったその日にそのまま完全隔離の入院となりました。

詳しい状態は知らされていなかったのですが、入院日の検査の移動の際に、体力を消耗するから車いすに乗りなさい、家族1名以外は面会禁止と言われたときに、これは大変な状態なのかもしれないと恐怖を感じたことを覚えています。

2-2. 10日間死線をさまよう

入院後の翌日から見る見るうちに、食事もできない状態になり、とにかく白血球を上げなければならないということで、1日2回の注射・多量の薬、3箇所に点滴、あらゆる処置を受けました。

入院は10日間ですみましたが、その間毎日40度の高熱が続いたのには参りました。

寝返りすらうたず、弱い呼吸しかできていないため、家族は病室に来るたびに生きているのか確認をしていたそうです。

また、感染症の特徴らしいのですが、朝になると多量の発汗とともに高熱は下がり、夕方・夜になっていくにつれ、再び高熱になります。

夜になると高熱になる、あの辛さがまたやってくると思うと、夜になるのが怖くなります。そして夜にうなされていると、このまま死んだ方が楽かもしれないとすら思っていました。

3. 復活して変わった人生観

今考えてみると、2つともなかなか普通ではできない体験をさせてもらったと思います。

日本社会では、若いうちの仕事は辛い、辛いけど頑張っていれば歳を取ったら報われる、退職してから人生を大いに楽しむ、そんな考え方が一般的な気がします。

でも、シンガポールで実際に死にかかってから思ったわけです。

  • 人間、いつ死ぬかわからない
  • 今回はたまたま助かったけど同じ症状で亡くなっている人は多く自分は単にラッキーだった
  • 1回死んだものと思って生きていけば何でもできるのではないか

このような思いを持った状態で、シンガポールから日本に帰国し、そして1に書いたような日本の閉塞感立ちこめる状況に衝撃を受けたわけです。

そして、自分自身の人生は自らつくっていこうと決断し、安定した国家公務員を辞めました。

最後におまけ

整理していたら、日本帰国後に講演を求められたときに使用した資料「シンガポールの社会・労働事情」が出てきました。

外部で講演したときの資料であり、一般公開できる資料なので付けておきます。

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